人生の節目節目に、必ず思い出す言葉がある。
思い出すたびに、「ああ、私はまったくわかっていなかったのだ」と、
また深く噛み締め、胸に刻む。
そしてまた自分に誓い直す。
私は私の戦いを終わらせる。
「あなたの人生を変えた言葉は?」と聞かれたら、私は迷わずこの言葉をあげる。
7月から本格的にコーチングの勉強を始めた。
12月までに全部で5つのコースを受講する。
先日、3つめのコースを受講。
コースの最終日、自分自身の決意を宣言する場面があった。
私の中から出てきたのが、バイロン・ケイティのこの言葉。
これ以外、考えられなかった。
私がケイティの「ワーク」を知ったのは、2007年。
会社を休職していたときだった。
旅先である人と出会い、この小冊子を薦められた。
ひどい出来事や嫌な現実を嘆き、失望する前に、
「私は私の戦いを終わらせる」
そこから始めよう。
そう決めた日のことをよく覚えている。
それは固い決意でも熱い想いでもない。
ただ静かな、祈りのようなものだった。
静かに、静かに。
でも着実に。
その祈りは私の中に浸透していった。
あの日を境に、私の人生は変わっていった。
外からどころか、自分でもまったくそうとは気づかない。
目に見えない、感じ取ることさえできない。
そんな小さな小さな変化だったのだと思う。
だけど振り返ってみれば確実に、あの日が分岐点だった。
起きている出来事が自分を苦しめるのではない。
起きている出来事に対する自分の解釈が、自分を苦しめる。
出来事は、ただ起きているだけ。
そこに、いいも悪いもない。
正しいも、正しくないも、存在しない。
現実と争うとき、あなたは負ける、それも必ず。
この単純な真実が見えてきたとき、
ただもう脱力し、バンザイするしかなかった。
自分ではないものになろうとしたり、
自分の考えではないものに従おうとしたり。
それらはすべて、現実との闘い。
私は私を生きるしかないのだ。
戦いは、自分の中にしか存在していない。
この真実の前にサレンダーすることが苦しみの終わりだと、
世界の真の姿が見え始めた。
私が持っているのは、この表紙の初版。
「こんなまなざしの人になりたい」
セラピストを志したとき、ひそかにそう思った。
その想いは、今も変わらない。
歳を重ね、いつか、こんなまなざしで語りかける人になれていたら素敵だ。
そう思いながら、今日も生きている。
Life is Beautiful.
世界は美しい。