“ひとり”を生きる人へ

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

家族もなく猫もいない私は、年末年始はひとり静かに過ごします。

華やぐ話題には入っていけない。
だからひっそりと目立たないように(笑)
世間が日常に戻るのを待つ。

だけど今年はホントの気持ちを、主張してみようと思う。

やっと、言えそうな気がするから。

年末にふと思った。

「ああ、私すねてるんだな」

   

どうしても、あることでイライラしてしまう自分を、なだめてみたり、やり過ごしてみたり。
いったんは忘れても、ふとした瞬間に、また思い出してしまう。

なのであきらめて、ただそれを受け入れてみたら浮かんだのだ。
「ああ、私すねてるんだな」と。

すねているちっちゃな子供がいる。
   

そう認めた次の瞬間、わかった。

なぜ、すねちゃいけないんだろう?
なぜ、すねた子供がいてはいけないんだろう?

   

私を苦しめているのは、すねているこの気持ちじゃない。

すねてはいけない。
すねるのはダメなことだ。
すねている子どもは癒してあげないといけない。
癒されないと幸せにはなれない。

この価値観だ。

それは私のものではない。
誰かの思考、誰かの価値観、誰かの正しさ。

私の生きる世界とは違う。
私の望みは、すねた子供が癒されることではない。
すねた子供ごと、世界を受け入れることだ。
すねた私ごと、受け入れられる世界だ。

  

ひとりで過ごすお正月は寂しい。

死んでも口にしたくはなかった。
言葉にしてしまったら負けてしまいそうだと、どこかで思っていたのだろう。

だから、「ひとりでもこんなにしあわせ」と、
自分に言い聞かせ、世の中にアピールする。

そんな自分がいたことを素直に認め、今こうやって、言葉にすることが出来た。

   

ひとりで生きる人は寂しい。
寂しいことは悪いこと。

私をかたくなにさせていたのは、この価値観。

すねることも、寂しいことも。
事実そうであるだけ。

それに、ダメだとか悪いとか可哀そうだとか。
レッテルを張られることが、嫌だった。

でも、そのレッテルを張っていたのは、誰よりも自分自身なんだけどね(笑)

だけど。

それは私のものではない。
私が生きたい世界には、そんなものは無い。

いいも悪いもない。
正しいも正しくないもない。

癒すも癒されないもない。
幸せも不幸せもない。


すねている。
そんな気持ちがある。

寂しい。
そんな気持ちがある。

ただそれだけ。

それ以上でも、それ以下でもない。

ただ、そんな私がいる。
いまここに。

いつの間にか迷い込んでいた心の世界。
自己啓発はもちろん、癒しも心理学も精神世界もスピリチュアルも。
いつもいつも、最後の最後に割り切れない想いが消えなかった。

「こうあらねばならない」

そう言われているようで、
そんな理想が非現実的過ぎて、
そこにあてはまらない自分は、常に「足りない人」にさせられてしまうから。

   

機能不全の家庭に育ち愛着障害を抱える人。

そう説明されれば、確かにそうかもしれない。
だからたくさん学んだし、たくさんの”癒し”も受けてきた。

だけどいつもいつも、何かがしっくりこなかった。

   

ある時、気づいた。

「私、怒ってるんだ」

私の親を否定する、その考えに。
そういう環境に生まれ育った私の人生を否定する、その前提に。

私は全身で怒っている。

   

「それしか出来なかった」

私の家族も私自身も、自分の人生を自分で出来る精一杯で生きた。

それをエラソーに否定するな!

バカはバカなりに一生懸命なんだよ。
出来ない人は出来ないなりに、でもそれで精一杯、頑張って生きている。
それを否定するな!!

どこかの偉い人が決めた「親の愛」とか「無償の愛」とか。
そんな理想に、もう振り回されたくはない。

愛されなければいけなかった。
愛さなければいけなかった。

そんな「呪い」を私にかけるな!

   
私の家族はみな、それぞれが出来る100%で生きたことを、私は知っている。
たとえそれがエライ先生たちの言う、かけられるべきだった愛とは、ほど遠いものであったとしても。
かくあるべしの家族の姿、愛情に満ちた理想の家族とは、違うものだったとしても。

私たちはベストを尽くしてる!

  

セラピストとして、たくさんの人とお会いしてきた。

今、目の前に静かに座っているこの人が、そんな経験をしてきたなんて…
そんな痛みを乗り越えて、今こうしてここに座っているのか…

会社員のままだったら、絶対に会うことが無かった。
こんなお話を聞かせていただく機会は無かっただろう。

駆け出しのころの私はそう思った。
いや、かなり長い間、そう思っていた。
   

だけどきっと違うのだ。

話さないだけ。
   

目の前で笑っている人が、どんな環境に生まれ、どんな経験をしてきたか。
ご本人が話さない限り、それはわかりようがない。

もしかしたら、教科書に書いてあるような家族や友人や人間関係、
赦しや癒しや愛さえも、
ものすごいレアケース、

机上の空論

かもれないと私は思う。   

  

世の中には、許さなくていいこともある。
怒りや憎しみを、無理になんとかしようとしなくてもいい。

捨てた方がいい親もいる。
縁を切った方がいい家族もいる。

無理に癒さなくてもいいこともある。
    

それが現実を生きるということ。
傷みを抱えたままでも、人は十分にしあわせに生きられる。

そして最後に。

なぜかここまで読んでしまった(笑)セラピストさん、ヒーラーさん、カウンセラーさん。
ほんのちょっとだけでいいから、考えてみて欲しい。

無理に許さなくてもいい。
無理に癒さなくてもいい。
無理に愛だと言わなくてもいい。

そんなありようも、「生きる」ということの中にはあるのかもしれない、ということを。

    

あなたの愛は正しい。
だけどときに正しさは、人を傷つけるから。

   

頭カチコチでさんざんそれをやってきた私からの
心からのお願いです。

    

Life is Beautiful.
寂しさも憎しみも全部ひっくるめて、世界は美しい。

あなたも美しい。

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